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序 手折られた紅雲の花 + 2 +

last update 최신 업데이트: 2025-04-16 14:54:49

   * * *

「……死にそこなったか。忌わしい蛇だ」

 桜吹雪の向こうで、一匹の蝙蝠が嘲るように鳴き声を発している。

 その報告を耳に、男はつまらなそうに応える。

「蛇がいるからには眠れる竜を無理に起こすこともない。標的を竜糸(たついと)から雲桜に変える」

 思わぬ発見だった。

 たいしてちからを持たない花神を土地神としている少数部族『雲』が暮らす山深くに位置する雲桜は男にとって捨て置くはずの場所だったからだ。まさかここで至高神の加護を持つ『天』に勝るちからを目の当たりにするとは。これは、放っておけない。

「いまはこの、邪魔をした小娘がいる厄介な呪術を使う集落を落とすのが先だ」

 雲桜の土地神を殺めれば、その地は瘴気に満ち、またたく間に深い闇へ人間を飲み込んでいくだろう。その絶望に打ちひしがれた人間どもを食餌できるのだ、余興にもちょうど良い。

「そのあいだに、計画を練り直せばいい。まだ時間はあるのだから……な」

 きぃきぃと、賛同するように蝙蝠が鳴く。気づけば少女に介抱された蛇は、姿を転じることなく澄み切った夜空に逃げるように消えていた。

「正体を悟られるのを避けたか。まあよい。あの蛇を殺すのはあとの楽しみとしておこう」

 だが、愚かな少女だ。土地神の制止もきかずに術を遂げるとは。これで花神も疲弊して、こちらの侵入に気づくのに遅れるだろう。

 男は苦笑しながら蝙蝠に命じる。

「いましかない。雲桜を、滅ぼせ」

   * * *

 息を吹き返し天空に姿を消した蛇を呆然と見送った少女は、暁降ちに起こる嵐の予兆など知る由もなかった。

 そして、朝陽を拝む間もなく、故郷は滅ぶ。

 雲桜を守護していた土地神、花神が幽鬼によって殺されてしまったから。

   * * *

 土地神が施した魔除けの結界は解け、悪鬼が美しい桜の園を蹂躙する。

 桜の淡い芳香は喰い破られた人間の血肉の臭いに染め変えられ、白い桜もどす黒い瘴気に染まる。

 繰り広げられる悪夢に、疑心暗鬼になった『雲』の民は罵りの言葉を吐く。

「誰が禁術を使ったのだ……!」

 雲桜を守護する花神の加護をもつ『雲』の民は、集落の誰かが禁忌とされる術を使ったために花神のちからが弱体化し、そこを鬼に付け込まれたのだと悟る。

 だが、その原因をつくったのが齢九つの少女であることにはまだ誰も気づいていない。

 その少女も、自分が犯した罪がそこまで大きなものであったことなど知る由もなかった。

 だって、治癒術は禁じられていなかったのだから……。

「お父さん?」

 けれど、少女の父親は、悟ってしまったのかもしれない。

 神術に優れた自分の娘が、禁忌とされる甦生術を故意に発動して、花神の結界を緩めてしまったことに。

「なに……?」

 悲痛な叫び声が、集落中に響いている。

 そして、少女の顔に怯えが走る。

 幽鬼襲来を怒鳴る父の声。

 花神さまの結界が張られているから大丈夫だって……そう言っていたのに。

「なんで?」

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    「どう思う?」 「……なんで振るんですかわたしに」 朱華を襲った巫女を地下牢へ入れたのち、里桜への報告のため颯月とともに訪れた星河だったが、ほとんど言いたいことは言われてしまった。残された星河は里桜の言葉を受けて、硬直している。「客観的に物事を分析するためにあなたの意見もききたいと思ったのよ」 「そうですか」 なかば諦めたように星河は笑う。自分より十近く年齢の離れた少女に言われても説得感があるのはやはり選ばれた代理神の半神だからだろうか。「ですが、わたしがどう思おうが、里桜さまはそのままでいいとお考えでしょう?」 裏緋寒として神殿に入った朱華には自分の加護に関する記憶が失われていたという。カイムの土地神の加護のことを、逆さ斎の里桜は浅くしか知らない。大樹がいないいま、知識を与える適任者は竜頭が起きていた頃を知る夜澄しかいないのも事実だ。里桜は頷いて、話を変える。「はぐれ逆さ斎が記憶を改竄したんですって? 至高神に逆らってまで、彼女を自分のモノにしようとしたなんて……」 それともこれも、至高神が采配を施しているのだろうか。いまここに大樹がいれば真意を問えるのに。里桜は悔しげに口元を歪める。「その逆さ斎なら、颯月が瘴気を払っております。問題はないかと」 「大ありよ! 代理神が不完全ないま、瘴気を払って放置しただけなんでしょう? ……すでに竜糸の結界は綻んでいる。払っても払っても根本を断たなければ同じことを繰り返す可能性がある……もし、裏緋寒を諦めきれずに彼が自ら闇鬼のために瘴気を取り込んだら?」 相手は逆井の姓を持たないとはいえ、自分と同じ逆さ斎だ。ひととおりの術式も扱えるに違いない。記憶まで操ることが可能なことを考えると、至高神に預けられたちからを持つ朱華を保護していたという未晩はかなりの術者のようだ。まぁ、それだから裏緋寒の番人として至高神に重宝されたのかもしれないが…… そんな未晩が、神殿に乗り込んできたら……大樹がいない、竜頭が眠ったままの状態で対抗するのは厳しいだろう。そう指摘されて、星河の表情が青くなる。「……それは」

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       * * * 「それだけですか?」 「夜澄が彼女の面倒をみてくれるというのなら、あたくしがしゃしゃりでるのもどうかと思うわ。守り人が神嫁を教育すること自体、別におかしなことはないでしょう?」 里桜は神殿内で闇鬼に堕ちた人間が現れた報告を颯月から受け、ついに来たかと嘆息する。しかも裏緋寒の乙女として迎えたばかりの少女を殺そうとしたという。桜月夜によって辛うじて難を逃れたというが、この先も同じようなことが起きる可能性は高い。土地神の花嫁となるものなど、幽鬼にとってみれば邪魔でしかない。彼女の正体が知れれば、眠ったままの竜頭より先に葬ろうとするだろう。 そこで夜澄が珍しく自ら彼女の護衛につくと言いだしたらしい。ふだんは厄介なことほど星河や颯月に押しつけてふらふらしているくせに、と反発を覚えながらも、桜月夜のなかでいちばん強いちからを持っているのは彼だったなと里桜は思い直し、素直に受け止める。彼が裏緋寒の乙女を護る気でいるのなら、任せた方がいいだろう。竜頭の花嫁となるであろう少女だ、意地悪などしないと思いたい。 だが、颯月はすこしばかし不満らしい。たしかに、大樹が不在のなかひとり代理神を務める里桜よりも裏緋寒の乙女を優先する姿は、神殿内でも疑問の声があがるだろう。このまま彼が裏緋寒の乙女を自分のものにするのではないかと危惧する声がでてくるのも時間の問題かもしれない。きっと颯月もそう思ったから、里桜に意見したのだ。 裏緋寒の乙女が眠りから醒めた竜神の花嫁にすんなりおさまるためにも、夜澄ひとりにまかせっきりにするのが不安だから、颯月は里桜の前で途方に暮れた顔をしているのだ。「でも……」 「颯月。あなたは夕暮れまで引き続き大樹さまの居場所をあたってみてほしいわ。『風』の加護を持つあなたしか、長い時間集落の外をでて動くことができないのだから」 桜月夜だからといって、常に一緒に行動する必要はない。それぞれが持つ加護のちからを最大限に生かして、この危機的状況を打開する方が大切である。  それに、過去を知る夜澄が過激な花嫁修業をひとりで担ってくれることに、どこかでほっとしている自分もいた。土地神と契る

  • 蛇と桜と朱華色の恋   弐 裏緋寒と表緋寒の邂逅 + 13 +

     ――けれど朱華はもう、ここのつの幼子ではない。「それまでにあたし、記憶を思い出す。それで、里桜さまとともに竜神さまを起こすから!」 未晩に甘やかされたまま、怖い夢や漠然とした不安など、いままで彼が飼っていた闇鬼にぜんぶあげていたけれど。  それじゃあいけないんだとぎゅっと拳を握りしめる。「そしたら、戻ってきたちからを使って大樹さまを探すお手伝いもするし、竜神さまに認められる花嫁になれるよう修業も頑張る!」 目の前にいる彼に誓いたかった。迷惑だと思われても、声にだしてこの決意を伝えたかった。竜神が眠りにつく前から守人をしている彼のために、心の底から役に立ちたいと思ったのだ。「お前……なぜそこまで」 困惑する表情の夜澄を見ても、朱華の気持ちは変わらない。彼が自分たちの『雲』の民を見捨てたことを後悔している姿を、責めるのは見当違いだ。そんなことをしても死んでしまった命は還らないのだ。それならいま、自分にできることをして、雲桜のような悲劇を防ぎたい。「なぜって。もう誰にも死んでもらいたくないからよ?」 当然のように返す朱華に、夜澄が呆気にとられている。  もう誰にも死んでもらいたくない。朱華の心の奥底から自然と湧きあがるように生まれた言葉。  それは記憶がない状態でも、揺らぐことのない、本心だった。「――ならばまずは、お前が真実(まこと)に桜蜜を分泌させる処女(おとめ)たるか、この場で確認させてもらおう……下衣を脱いでくれ」 「……えっ」 そんな朱華の覚悟を前に、夜澄が申し訳なさそうに宣言する。  そして、座っていた椅子から立ち上がり、朱華に被せていた己の上衣を剥ぎ取り、脚をひろげさせる。  恥ずかしい格好のまま、下半身を晒せと命じられ、朱華は目をまるくする。けれど、竜神の花嫁になるためには必要なことなのだと理解し、菫色の瞳を潤ませたまま、言われるがままに下衣をおろす。  夜澄によって治療された場所が、妙に疼く。「さわるぞ……まずはちいさくて可憐な花の蕾から」 「……あっ、そこはだめっ…

  • 蛇と桜と朱華色の恋   弐 裏緋寒と表緋寒の邂逅 + 12 +

    「え、じゃあ、裏緋寒の乙女ってのは竜糸の竜神さまの花嫁って意味ではないの?」 「表緋寒と裏緋寒はカイムの神殿用語だ。表緋寒は神職者として土地神に仕える女性や、土地神の加護が強い既婚女性。神嫁の別称でもある裏緋寒というのは神職者ではないが強い土地神の加護と神々を悦ばせる桜蜜を持つ未婚女性で……率直に言えば神の子を孕める器の持ち主のことだ。だから集落によっては神に弄ばれる愛玩花嫁などと蔑む場所もある」 「それで、師匠も知っていたのね」 未晩が逆さ斎なら、神殿用語にも詳しいはずである。「だろうな。神無の地を離れたはぐれ逆斎のようだが、お前を大事に扱っていたことを考えると、至高神が彼にお前を託したのかもしれん。あの天神は目的のためならどんなことでもするからな……」 ぼそりと呟く夜澄のぼやきを朱華は聞き逃していた。至高神が自分に関わりを持っていると明かされた時点で、すでにあたまのなかはぐちゃぐちゃになっているのだ、これ以上あれこれ言われてもすべてを飲み込めるほど朱華は器用ではない。「……と、とにかくカイムの集落の土地神の後継をもうけるため、至高神が竜糸の眠れる竜神さまの花嫁として、もうすぐちからを返却する予定のあたしを指名したってこと?」 まあな、と首肯しながら夜澄は苦い顔をする。「だが、逆さ斎が記憶を書き換えたことでお前は自分が何者かわからないまま、今日まで来てしまった。おまけに、お前のちからが預けられた状態のまま、半神である大樹さまが行方知らずになってしまった……いま、竜糸の結界は表緋寒ひとりで保たせているのが現状だ」 「だから、瘴気が神殿内にまで侵入しているの?」 「それにしては瘴気の量が多いのが気になるが。すでに幽鬼に気づかれた可能性も考えておかねばならないな」 「そんな」 ほんのすこし負の感情に傾いただけで、闇鬼に憑かれて自分を殺そうとした巫女を思い出し、朱華は身震いする。それを怯えと捉えたのか、夜澄は子どもをあやすようにそっと、彼女の玉虫色の髪を梳きはじめる。「もう、ひとりにはしない。お前が竜頭の花嫁として迎えられるそのときまで、桜月夜の総代として、俺が護

  • 蛇と桜と朱華色の恋   弐 裏緋寒と表緋寒の邂逅 + 11 +

    「――ああ」  息をのむ。  半ば強引にこじ開けられていく記憶の抽斗から、ぽろりぽろりと朱華の脳裡に断片が溢れだす。 いまから十年前。  朱華の両親は竜糸を襲った流行病で死んでしまったと未晩は言っていたけれど……それは、嘘だ。 雲桜の花神。  朱華は彼のことを知っていた。  茜桜。  彼こそが、自分の生まれ故郷の土地神、で――…… 「竜糸の竜神、竜頭は、茜桜と親しかった。だから、雲桜が幽鬼によって滅ぼされた際に、神殿は落ちのびた『雲』の民を匿った。当時の代理神は加護を失った彼らに『雨』のちからを分け与えたため、彼らはちからの弱いルヤンペアッテとなった」 「……あたしも、そのルヤンペアッテの加護を少しだけ分けてもらったんだね」「だが稀に、土地神が死んでも産まれた集落の加護を失わない人間もいる。お前の『雨』の加護のちからが微弱なのは、『雲』の加護を失うことなく竜糸の地に辿りついたからだろう」 「土地神が死んでも、加護が消えないなんてことがあるの?」 「ああ。雲桜が滅んだとき、竜糸では流行病が蔓延していた。『雲』の加護は治癒術に秀でていることから、代理神は加護を失わずに済んだ『雲』の生き残りに病の治療をさせたのさ」 未晩が朱華に言っていた、竜糸で十年前に起きた流行病というのは嘘ではなかったようだ。うん、と頷く朱華に、夜澄は自嘲するように言葉をつづける。「神殿は集落を失った難民を引き取るかわりに、『雲』のちからを自分たちのものにしようとした。でも、それは一時的なものでしかなかった。『雲』のちからは『天』に等しくときに世界を動かすんだ。竜神が眠った状態で竜糸の神職者たちが求めてはいけないちからだったのさ」 世界を動かすといわれる『雲』のちから。そして、それを欲した竜糸の神殿勢力。けれど、夜澄の言葉は、『雲』のちからを神殿が取りこむことに失敗したことを示していた。「それってどういう……」 「病の終息とともに、『雲』のちからを持っていた生き残りが死んでいった。病人が持っていた瘴気が、集落を滅ぼされ

  • 蛇と桜と朱華色の恋   弐 裏緋寒と表緋寒の邂逅 + 10 +

    「ふうん。夜澄は詳しいんだね」 「俺があの三人のなかでいちばん古株なだけだ」 だから自然とお前の面倒を押しつけられるってわけだな。と、毒づきながら、夜澄は朱華が被った浄衣をぺろりとめくると傷ついた身体に治癒術を施しはじめる。露わになっ太腿に夜澄の手があてられ、朱華は慌てて撥ね退ける。「こ、これくらい平気だって!」 「あいつらは俺にお前の事後処理を任せて出て行ったんだ。おとなしく治療されろ」 「治癒術ならあたしひとりででき……痛っ」 「血が止まってないのに興奮するからだ。それに、さっきまで闇鬼とやりあってちからを使っただろう? 消耗してるときに自分で治癒術をかけたりしたら逆に回復が遅くなるぞ」 「……はーい」 赤面したままの朱華は渋々頷き、夜澄に身体を寄せる。緊張しているのが伝わったのか、夜澄は朱華の手を取ると、室の奥に並ぶ石の箱に連れていく。どうやらあれは椅子だったらしい。  朱華を座らせ、夜澄は手際よく術を発動させていく。太腿に負わされた傷だけでなく、身体中を掠ったちいさな傷も、夜澄が唱えたどこか懐かしさを抱かせる言葉によってあっという間に消えていった。彼もまた、古き時代の神謡を深く識る神に携わる人間なのだと朱華は痛感し、ふと疑問に思う。「あの」 「なんだ?」「夜澄は、いつからここにいるの」 桜月夜の守人のなかでいちばん古株だと口にしていたのを思い出し、朱華は問いかける。夜澄はしまった、というような表情を浮かべたものの、朱華の問いに正直に応えを返す。「竜頭が眠りにつく前から」 「……それって、百年以上前のことでしょ? 冗談」 「冗談だと思いたければそう思えばいい。でも、俺は竜頭のことを知っているし彼に頼まれたからずっとこの地で結界を護る代理神の補佐をつづけている」 琥珀色の瞳は淋しそうに煌めき、黙り込む朱華をしずかに見下ろしている。「だから、大樹が消えたいま、お前が必要なんだ」  ――竜神の、竜頭の花嫁になってくれ。  夜澄が朱華の前へ跪き、切実な想

  • 蛇と桜と朱華色の恋   弐 裏緋寒と表緋寒の邂逅 + 9 +

    「……まさかこんなところまで鬼が侵入しているとはな」 颯月に助け出された朱華は悔しそうに呟く夜澄の言葉に顔を向ける。「えっと、それってどういうこと?」 氷の刃によって切り裂かれた袿をぎゅっと抱きしめて、朱華は尋ねる。夜澄は自分が着ていた白い浄衣を無言で脱ぎはじめ、ひょいと朱華に投げつける。「そんな恰好でうろちょろするな」 「……す、すいません」 闇鬼に襲われた朱華の恰好は見るも無残な状態になっている。長身の夜澄の浄衣を受け取った朱華は慌てて被り、素直に謝る。「いえ。謝るべきなのはわたしたちの方です。神殿内だからと貴女をひとりにしてしまい、このような目に合わせてしまうとは……」 「ごめんね。もうこっちに来てるとは思わなかったからさ」 どうやら桜月夜は朱華がまだ雨鷺とともに身支度をしていると思っていたらしい。そのため里桜との面会の場に入る前に別の場所で一仕事していたようだ。そこで闇鬼の気配を感じた颯月が飛び込んできたということだろう。朱華は平気だと首をぶんぶん振って言い返す。「あ、あたしは大丈夫です! こう見えても神術はひととおり取得してますし、身のこなしだってふつうの女の子に比べたらぜんぜん」 「震えてる癖に何強がってんだよ」 小声ながらも厳しい夜澄の言葉が投げつけられ、びく。と、朱華の肩が反応する。  けれど、その声はすでに闇鬼に堕ちた少女の処遇について話しはじめた他の桜月夜の耳には届いていないようだ。「そ、そんなこと……」 慌てて夜澄に反論しようとして、朱華は言葉を切る。夜澄の琥珀色の瞳が、険しく揺れていた。「神殿内には竜頭……竜糸の竜神さまの名だ……の花嫁に選ばれたお前のことを素直に受け入れられない人間もいる。それに、瘴気を塞ぐ結界が緩んでいることもあって、この神殿にも悪しき気配が侵入しやすい状態になっている。さっきお前を襲った巫女はお前さえいなければ自分が竜頭の花嫁になるのだと潜んでいた闇鬼に囁かれでもしたのだろう」 神殿に仕える巫女は土地神にすべてを捧げる運命にある。彼女たちが土地

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